序章 月世界の夜空

序章 月世界の夜空

 貴族の身分を失って以来、私は秩序の底辺で生きていくことを余儀なくされた。
 月面の難民キャンプに建てられた粗末な密閉箱型住居から、月の空を眺めて空腹を紛らわせた。母なる大惑星ヤブゴナが、数多の月を首飾りのように従えて鎮座する。荘厳であると同時に、殺伐としていた。幼い頃、それが私の知る唯一の星空だったから、何の疑問も持たずに、何の感慨も抱かずに、ただひたすらぼんやりと眺めていた。

 仲間たちと共に月を渡るようになってからも、時折月面に出て、独りで空を眺めていた。気密服に身を包んで冷たい月の岩に背中をつけたまま、何時間も眺め続けていた。そうしていれば、自然と月の一部になれるような気がした。

 初めて月世界の外へ旅立ったときの驚きは言葉に尽くせない。
 惑星。そこに足を踏み入れたとき、その大きさと自然の多様性に心を打たれた。
 惑星によって異なる色彩を帯びる本物の夕陽。
 惑星の強い強い重力に引かれて落ちてくる流星。
 果てしなく広がる海洋、密林、砂漠。
 三千万もの人々が暮らす巨大都市の夜景。
 そんな光景を見たことがある人が、月世界に何人いるだろう?
 私はその美しさに打たれ、子供のように無垢な涙を流した。
 そこに存在する無慈悲と残酷さは月世界と何一つ変わらないのに、そこに存在する美しさは本物だった。

 けれども、私は本来そこにあるべきものではないと感じていた。
 心の隅で月世界への帰還を願っていた。
 タンツァでなくてもいい。
 カーベでも、アトイでも、バハシェトでも、どこでもいい。
 どこかの月で残りの人生を過ごし、月の土に埋もれたいと願っていた。
 私はやはり月の子だ。
 月で生まれ、月で死ぬことを定められた存在だ。
 モルドコガルの月が私を呼んだ。
 あの月に行こうと私は願った。
 あの月で死のうと私は望んだ。 ≫ 第1話「看板を掛けました」

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