藪蚊の異常発生です

≪ 第16話「御婦人方を接待しました」

第17話「藪蚊の異常発生です」

 誰もが心待ちにする国都の短い夏。
 けれど、今年の夏は台無しになった。
「不思議な殺虫剤売ってない? 不思議な防虫剤置いてない?」
 サレカさんが息せき切って店に駆け込んで来た。
「ないない、そんなもの。市場に行ってくださいね」
 そろそろ来るだろうなと予測していたけれど。
「ああ、痒いったらもう。こんなに刺されたよ」
 サレカさんは袖を捲り、カウンターの上に腕を出して見せる。
 真白な肌に赤い斑点がぽつぽつと。
 外に出れば余計に刺されるのだから、わざわざお店に来なければいいのに。
「見せなくていいから」
 私は彼女の腕を押し返す。

「いやよね、藪蚊って。初めて知った。この月には、こんな変な虫いなかったのに。どこから入ってきたんだろ」
「今朝の国都新聞、読まなかった?」
 私は抽斗から小冊子を取り出して、カウンターの上に置いた。
「新聞は毎朝、ルスが熱心に読んでいて手放さないんだもの」
 彼女は言いながら新聞を手にしてページをめくる。
「ここ数日間に異常発生した蚊はニバヒリからタンツァ経由で持ち込まれたと推測され、防疫課の発表によると伝染病を媒介する危険が …… 」
 サレカさんの顔は一気に蒼ざめる。
「伝染病だって! どうしよう、私、こんなに刺されたよ! わ、私、死ぬのかな?」
 新聞をカウンターに放り出し、前のめりになるサレカさんを押し返すようにしながら、私は答える。
「落ち着いて。最後まで読んで。誰もが伝染するとは限らないし、都政館は薬の緊急輸入も決定したって言っているから、仮に発病しても死ぬことはないと思うわ。たぶん」
「こんないい加減な防疫態勢を敷く都政館なんて信用できない!」
 自分も役人であることを忘れたかのような発言だ。

 私は彼女の肩に手をおいて、なんとか落ち着きを取り戻させてから囁いた。
「蚊帳を一つあげる。寝る時は刺されずにすむはずよ」
「かや?」
 サレカさんは鼻を啜りながら訊き返す。
「蚊帳を知らない? うん、そうねえ。確かにどこか温暖な惑星で野外生活でもしない限り、別に必要ないわね。私は旅暮らしだったから必需品だったのよ。ちょっと待っててね。予備が倉庫にあったと思うから」
 私はそう言って倉庫へ向かい、売り物にならない雑多な物を放り込んである古くて大きな長持を開けて蚊帳を引張り出した。

 こうなると分かっていたら、新品を大量に買い付けていたのに。
 そんな不埒なことを考えながら彼女に蚊帳を渡す。
「網?」
 蚊帳を初めて目にしたサレカさんは不思議そうな顔をした。
「麻で織ってあるの。目が細かいでしょう? これを四隅に吊って寝台を囲ってしまえば、外から蚊は入り込めないのよ」
「わあ。さすが不思議なお店だね! 来て良かった」
「え?」
「こんなすごい品物が手に入るなんて思わなかった。ありがとう、イェラ!」
「ど、どういたしまして」
 サレカさんは、先ほどまでの悲嘆が嘘のような笑顔でお礼を言うと、蚊帳を胸に抱えて走って帰って行った。
 蚊帳は不思議な品物ではない。ただの蚊帳だ。
 私は彼女の後姿を茫然と見送った。 ≫ 第18話「失われた夏」

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