辛い記憶と温かな手

≪ 第8話「泊めませんからね」

第9話「辛い記憶と温かな手」

「イェラ! イェラってば!」
 夢の途中で揺り起こされた。激しい動悸と寝汗を感じながら瞼を開くと、赤毛の女性が蒼ざめた顔で私の顔を覗き込んでいる。
 誰なの? ああ、サレカさんだわ。
「ものすごくうなされてたんだよ。大丈夫?」
 サレカさんの言葉に私は黙って頷いてから、ゆっくりと身を起こす。

 悪夢。久しぶりに呼び覚まされた悪夢。
 反乱の記憶。血に染まったイテススの広場。
 銃声。泣き叫ぶ声。断末摩の叫び。重鎧の発する低い機械音。
 広場の中央に吊るされた男女の遺体。それは幼い頃の私に無償の愛を注いでくれていた、かけがえのない2人の変わり果てた姿 ……

「げえ」
 私は慌てて口を押さえたけれど、もう遅かった。
 吐瀉物が毛布の上に溢れ落ちて湯気を立てる。
「イェラ、どうしたの!」
 サレカさんが叫んで、必死に私の背中をさする。
 うるさい、うるさい!
 お願いだから、放っておいてちょうだい!
 私は心の中ではそう叫びながら、無言で手を激しく振って彼女を拒絶する。苦労知らずのお嬢さんに何が分かるというの!
 メイモアさんも只ならぬ気配を感じて飛び起きてきた。
「どうしたの、サレカ?」
 と訊いてスタンドの明りを少しだけ強くする。それから事態を把握すると、何も言わずに立ち上がって洗面所に行き、数枚のタオルを手に戻って来た。
 私はタオルを受け取って口元を、それから寝巻を拭うと、
「ごめんなさい。着替えてくるわ」
 涙ながらに言って、逃げるように部屋を出て行った。

 鏡に映る土気色の顔を眺めていると、涙がとめどもなく溢れてくる。
「こんな醜態さらして、情けないったらもう! ほんとにもう!」
 自分に毒づくように言いながら洗面台を両手でばんばん叩く。こんな事はかつての仲間内でもなかったことだ。あの頃は気の張った生活を送っていたからだろう。いつも疲れ切って泥のように眠り込んでいたので夢を見た記憶もあまりない。悪夢を見たあとも歯を食いしばって耐えていたのに。過酷な旅暮らしが自身の過去を紛らわせていた部分もあったのだと今初めて気づく。

 これがかつて貴族の少女だったシン・イェラ・リペンダの成れの果て。土にまみれて、血にまみれて、這い蹲るように生きてきた女の本当の姿よ。自嘲的な言葉を自分に投げ掛けると心が荒んでくる。

 気を静めるために深呼吸をして、しばらく時間を置いた。

 気まずい思いで部屋に戻ると、寝椅子には敷布の代わりに白いシーツが張られ、何事もなかったかのように元通りになっていた。
「シーツのある場所、よくわかったわね」
 私は力なく言った。天袋に入れておいたはずなのに。
「こういうときはメモアが頼りになるの」
「どういうときでもサレカが頼りになることはないわね」
 メイモアさんが素気なく応じる。
「ええとね、二人で相談したんだけど、イェラは寝台を使ってゆっくり休んだほうがいいよ。もう一つ寝椅子を運んでくれば私たちも休めるし」
 サレカさんが応接間のほうを指差して言った。
「いいえ。ここで結構。変なところを見せてごめんなさい」
 私は謝りながら寝椅子へ身体を横たえる。
「ねえ、イェラ」
 背中を向けて横たわる私の肩に手を置いて、サレカさんは囁いた。
「辛いことがあるなら言って欲しい。イェラが話したいときでいいからさ」
 私は答えずに無言のまま目を閉じた。10歳も年下の女の子に、こんな風に慰められることが気恥ずかしかった。それでもサレカさんの優しさに何とか答えたくて、背中を向けたままそっと小さく頷いた。暖かな手が肩からそっと離れてゆく。
 ≫ 第10話「港へ出かけます」

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