失われた夏と温かいココア

≪ 第17話「異常発生です」

不思議なお店周辺地図

第18話「失われた夏と温かいココア」

 伝染病の罹患率が低いことがわかり、当初の騒ぎは一旦収まった。外部の都や港に通じる地下道は全て遮断され、不便な生活を強いられることになったが、そこまでは都民が我慢できる範疇だった。

 しかし、都民にとっての真の悲劇はそれから数日後に起こった。
 バハシェト(3月)の2日。都政官は国都の気温を下げると発表した。
 ただし、皆が寝静まった時間に報道されたので、翌朝になって、人々は言葉ではなく体感によって異変を知らされた。3日早朝に指令が気象管理課を通じて気象制御システムへ送られ、真夏の国都は、たちまち真冬の寒気に包まれたのだ。

 殺虫剤を散布するのではなく、氷点下の寒さで藪蚊を全滅させてしまおうという決断だった。しかし、これを英断と言う人は誰もいなかった。

 短い夏を奪われた都民は暴挙だ愚挙だと騒ぎ立てながら一斉に都政館に詰め掛けた。私のお店は丘の頂にある都政館へ通じる草分け道の傍らに建っている。私は霜の張り付いた窓越しに、列をなして丘を登る群集の様子を眺めていた。

 モルドコガルは主衛星の中では最も母星から遠い軌道を巡り、潮汐作用による地熱もほとんどない。月に数多ある地下都市の熱は、すべて核融合による電力で賄われている(しかも普段から微妙に足りてない)。そういう知識はあっても、実際に暮らしてみないと、そこに住む人々の気持はなかなかわからない。

 群集が過ぎ去ってしばらくしてから、分厚い毛皮の外套を着込み、フードですっぽり顔を覆った怪しげな人が店にやって来た。もちろん、私はそれが誰なのか一目で判った。
「こそこそしてないで、顔を出しなさいな、サレカさん」
 私が叱るように告げると、彼女はフードを外し、見事な赤毛と不安な顔を出した。
「あなたは水道課なんだから、関係ないでしょ」
 私は呆れて言うけれど、
「皆、かなり殺気だっているから、もう見境ないと思う。都政館に入る人は、全部敵に見えるんじゃないかなあ」
 サレカさんはこのまま出勤することを躊躇っている。
「まあとにかく、温かいココアを入れてあげるから。体を温めてから、お勤めに出なさいな」
 まだ夜が明けたばかりだ。
 普段なら人々がようやく目を覚まして1日の準備を始める時間。

「取囲まれる前に都政館に潜り込みたかったけど、もう遅かったね」
 サレカさんが悲しそうに言う。
「いいから、ほら」
 私は半ば強引に、サレカさんの腕を掴んで店に引き入れた。彼女は私の向かいに座ると、何かを考え込むかのように首を捻りながら、指先でカウンターの木目をなぞる。
「今朝、私がお勤めに出たくないなあって言ったら、母に叱られた」
「そう」
 私は先を促すように頷いた。
「入りたくても入れない人たちがいるんだから、きちんと職務を果たしなさいって。行政予備館、競争激しいの。でも、父の口利きで入れてもらったんだ。いつもそれなりに負い目を感じているのよ。イェラ、軽蔑する?」
 彼女は上目遣いに訊いてくる。
「別に。縁故採用なんてどの国にもある話だし(公務員はまずいかしらね)。私は必ずしも公平さが全てに優先するとは思っていないわよ。なるべく重視するよう心がけておくべきだとは思うけど。あなたが将来、貴族として、受けた特典以上のものを国都に還元するなら、それでいいんじゃないかしら」
 そもそも、私のこれまでの人生は「公平」なんて贅沢な概念とはまるで無縁だったし。
「そう言われちゃうと、よけいに悲しくなる。私、カラパみたいに頭良くないから、父の跡をつぐこともできないし。何ができるんだろ?」
 いつもは明るいサレカさんが溜息をつく。

 カラパ? そんな名前のご姉妹がサレカさんにいたかしら?
 変な疑問が頭の半分に浮かんだものだから、
「それはたとえば …… 」
と後先考えずに口を開いてしまった。
「たとえば?」
 サレカさんが言葉の続きを要求する。
「だから、たとえば」
 困ったわ。全然思いつかない。
「 …… 無理に考えなくていいよ」
 サレカさんは溜息をついて立ち上がる。

 待って。もう少し時間をくれたら思いつくかも。
「そろそろ行かないと。ああ、でも、今頃都政館は人垣に囲まれているよね。そんな中を掻き分けて館に入ることできるかな。石をぶつけられるかも」
「まさか! 貴族のお嬢さんに石を投げる人はいないでしょう?」
 私は心底驚いて訊き返した。
 私の生まれ故郷でそんなことしたら縛り首だ。
「色々あるからね。昔も色々あったみたいだし」
 サレカさんは意味深な言葉を洩らす。
「 …… お気の毒」
 私はそう答えるしかなかった。 ≫ 第19話「市民の怒り」

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