土地のばらまき、領土を分割する境界線、植民地製品への課税

 [SF 小説設定資料] タニシェト史

 後にタニシェトとエン・シュモルの覇権を争うことになるヤサリが、大規模な内紛『コ・ケルハズの乱』に揺れていた四四六〇年、メオーテ星系に拠点を持つ帝政タニシェトは繁栄の頂点に達していた。タニシェトはその経済力と軍事力を背景に、屈強な部族を押し分けてヴァルム・アモに侵入し、植民地政策を推し進めてゆく。中でも最大規模の入植者を送り込み、植民地支配の前哨となったのが、エン・シュモルの第六惑星アムーケル(アモケール)であった。半ば未開地である東部には大量の開拓民を入植させ、諸部族のひしめく西部では、政治工作と征服戦争によって支配領域を広げていった。
 

土地のばらまき

 帝国の植民地政策というと、長期計画に基づいた国家的領土拡張政策のように聞こえるが、実際には評議会を構成する貴族たちの私的事業という側面が強かった。帝政タニシェトにおける皇帝は、評議会の長である。評議会の決定を確実に遂行するために、すなわち法規によって貴族たちを束縛する存在でなければならない。この仕組みによって本土における貴族同士の戦争は激減し、各地の民は帝国市民として団結し、領土拡張と対外貿易によって、帝国は史上空前の繁栄時代を迎えることになる。
 然るに、評議会と皇帝の微妙な均衡は、皮肉にも帝国の獲得した植民地によって崩れていくことになる。
 未開地であった西部において大規模な軍事行動は必要なく、貴族たちは先を争うようにして土地を確保してゆく。帝国の勢力拡大と共に増大し続ける防衛費を賄うために、評議会は予め境界線を引いて分割した西部の土地所有権を、入札によって次々に売却していった。特定の貴族が独占しないよう、一人毎の所有面積に上限は定められたものの、それはほとんど計画性のない「土地のばらまき」だった。人口の大部分は、本土からの入植によって賄われた。諸貴族は自身の領土から民を移住させ、農地を増やし、産業を興し、貿易を推進していった。同時に西部や周辺星系からアモの傭兵たちを呼び込み、私兵の強化を進める。境界線付近では緊張が高まり、四四六九年、最初の事件が起こる。
 

領土を分割する境界線

 現在のベルニ南部を流れるゴルチ川は、アタブ家とキリズ家の領土を分割する境界線であったが、ある日の真夜中、アタブ家の傭兵部隊が独断で川を越え、農村を略奪したのである。キリズ家は評議会にアタブ家の非道を訴えるが、偶発的な事件であるとして、評議会はアタブ家に僅かな賠償金を課すに留まった。受けた損害に比べてあまりに少ない金額に納得できないキリズ家は、報復としてゴルチ川を越境。『ゴルチ紛争』と呼ばれる事態に発展した。
 

植民地製品への課税

 このような緊張関係は、植民地に留まらなかった。本土では、植民地からもたらされる莫大な貿易品によって市場競争が過熱し、評議会は連日、貿易摩擦を巡る訴えに忙殺されることになった。植民地の新興産業は経済を活発化させる一方で、それはある貴族が意図的に別の貴族に対して仕掛ける経済戦争という面が強かった。植民地事業に失敗し、打撃を受けた諸貴族は、植民地製品に対し一律に課税を強化する法案を提出するが、評議会はこれを退ける。時の皇帝メスカラムドは、『植民地戦争』の勝者の代表格ともいえるバルトト家、ラゴ家との癒着を強めていた。評議会における皇帝の公平性が失われたとき、その先にあるものは分裂と崩壊である。
 
 四四七八年二月十七日。アムーケルの軌道上において、バルトト家の大型商船が正体不明の武装船団の襲撃を受けて沈められた。現地部族の職人の手による織物や高級アクセサリーを積んでいたことから、(タニシェト人が風習とする四月の仮装祭にかけて)『二月の仮装祭』と呼ばれる。バルトト家はこれをクフクト家の仕業であると決めつけて、宣戦承認を評議会に要求するが、内戦による国力の弱体化を憂慮した皇帝が『皇帝の三票』と投じることで評議会は宣戦を否決。しかし、クフクト家が本土に所有する領地の約三割を没収するという厳しい制裁が可決された。

 クフクト家当主フェブ・コルは演説の機会を与えられると、自身と一族の無罪を涙ながらに主張したが、真犯人が現れるまでは評議会の決定に従うと語った。その振る舞いに多くの聴衆が胸を打たれたが、それが演技に過ぎなかったことは、この後すぐに判明する。
 翌三月、フェブ・コルは武装した兵を引き連れて評議会に乱入し、バルトト家当主を始め、彼に与する貴族たちを殺害してしまう。皇帝メスカラムドは間一髪で難を逃れた。フェブ・コルは自分に同調する貴族たちと連名で『正統評議会』を結成する。現皇帝メスカラムドを弾劾し、メスカラムドの母方の従弟にあたるネスカンマパダを担ぎ上げ、帝国は内戦状態に突入した。
 最初の奇襲で勝敗はほぼ決していた。指揮系統がばらばらになったバルトト派を一掃し(ほとんどは降伏したが)、ネスカンマパダを担ぎ出した。
 

多額の国債と重税

 実際、植民地軍は帝国の最前線として良く戦った。ハーリはこれまで戦ってきたいかなる部族よりも強力な氏族集団であったし、植民地が払った犠牲は本土とは比較にならない。それなのに、植民地製品に対する課税強化という、恩を仇で返すような政策が返ってきたのである。無論、帝国としても止むを得ない事情があったことは否定できない。領土の拡大に伴い防衛費は増大し、ハーリとの戦争によって生じた膨大な負債(移動民族からは領土も賠償金も獲得できず、多額の国債という形の借金が残っただけである)を抱えていた。また、ハーリとの戦争に勝利した一方で、パルゴー方面でシバニバに大敗し、多額の賠償金を支払っている現状も無視できない。重税が課されたのは本土でも同様であった。また、この時期、本土でも人々の植民地に対する不満が募っていた。外国製品に比べて遥かに少ない課税で入ってくる植民地製品は本土の産業を衰退させるという事態を引き起こし、失業者が増加していた。市民の暴発を抑えるために、帝国は植民地への増税に踏み切るしかなかった。この時点で、植民地の経済状態は本土より遥かに高い水準にあったのである。しかし、このタイミングでの増税は人々の感情を逆撫でし、独立への機運を高めたのは紛れもない事実であった。
 四四八〇年、港湾都市ダールギントのヤムハド広場。植民地防衛戦争の英雄マリクタ・ザバランは、集まった民衆の前で、本土政府より贈られた勲章の盾を大鎚で叩き割ると、独立を叫ぶ。
 民衆の声に押されるようにして、植民地議会は、ダールギントに四つの州を加えて正式に『独立宣言』を出す。同時にマリクタ・ザバランを『独立戦争』の総指揮官に任命する。
 マリクタ・ザバランはタニシェト人とドゥシハン部族の混血であり、タニシェト市民であると同時に、部族王の血を引いていた。約二万人のドゥシハン部族の重装歩兵と二体の一つ目巨人を王から借り受け、それを直近の兵として編成した。

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