港へ出かけます

≪ 第9話「辛い記憶と温かな手」

国都周辺の月面地図

第10話「港へ出かけます」

 カーベ(1月)33日の朝。私は店に「本日閉店」という札をかけて、オヴィヤ川向こうのブティストクプ駅へ向かった。

 地下鉄は国都から真空トンネルを急勾配を上って、わずか5分ほどで月面直下の港に到着する。船の発着エネルギーを節約するために、港には人工重力がはたらいていない。身体を地面に留めるのは小さな月の重力だけだ。といっても、私は長い旅暮らしで、どんな環境でも最適な身のこなしができるように訓練されているので、重力変化をあまり意識することもない。『シャデリク(商い広場)』という飲食店に入って、あちこちで交わされる商談の喧騒の中を歩き回って交渉相手を探す。

「船を売りたいって? どんな船だ?」
 最初に声をかけた比較的裕福そうな中年男性は、右手で自分の顎に手を触れながら尋ねる。
「小さな船よ。定員は5名。まだ比較的新しいわ」
 私はスカヴア語でそう答える。本当は定員3名だけど、無理をすれば5人が乗れないこともない。造船から 100 年は経っていると思うけど、200 年前のものに比べたら新しい。マカの遺跡で発見し、修理して本船『クエンジー』の脇腹にくっつけておいた小型船。さほど価値があるものでもなく、どこかで適当に売り捌こうとしていたのだけど、私が引退するときに餞別代りにもらって、この月にやってきた。でもこのまま港に置いておくと、停泊料金がばかにならない。定期検査代も高い。もうこの月の外に出ることもなさそうだし、思いきって処分してしまうことにしたのだ。

「とりあえず見てみないとな」
 男はあまり気乗りしない様子で言った。
 月面地下を網の目のように張り巡らされた通路に沿って移動する。といっても迷うことはない。係留番号を指輪に記録してあるので、ナビゲーションにしたがって移動するだけだ。293 番ゲートからドックに入り、自分の船が係留されている場所まで彼を案内した。

「 …… 」
 船を検分し終えてから、彼はしばらく無言だった。
「 …… 買い取ってやらんこともないが、8000 ダカーがいいとこだな」
 彼はシャパの通貨単位でそう提示した。
「そんな! 12000 ダカーの価値はあるわよ!」
 私はそう言ってみるけれど、
「 8300 ダカー。それ以上は出さない。それで不満だと言うなら、この商談はおしまいだ」
 男はそう言って肩を竦める。
 私は迷った。8300 ダカーなんてあんまりだ。
 人の足元を見て許せないわね。
 でも早く処分しないと停泊料がかさむ一方だし。
「 …… そうだな。あるものを引き取ってくれたら 8500 ダカーまで出してもいい」
 彼は笑いながらそんなことを提案した。 ≫ 第11話「別れの時がきました」

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