別れの時がきました

≪ 第10話「港へ出かけます」

第11話「別れの時がきました」

 月は替わってアトイ(2月)を迎えた。
 陽射しはますます暖かく、ふわふわ漂うような日々が過ぎてゆく。
 今日は朝から断続的に雨が降り、雨の合間に小さな虹を見た。
 桜を見られないことが唯一の不満だった。
 故郷の春には毎年桜が咲いたのに。
 ねえ? 私は小さな同居人に目線で同意を求める。
 彼女は小さな頭を傾げて不思議そうに私を見つめる。
 私は帳簿をつけて彼女に笑いかけ、棚を整理してまた彼女の傍に行く。少しだけお客さんも増えた。それも彼女のおかげかな。

 そろそろ日も暮れる頃。閉店間際に本日最後のお客さんが訪れた。
 サレカさんは戸口から一歩足を踏み入れると、ぽかんと口を開けて中央展示台を見つめていた。そこには惑星模型に替わって天井まで達するような巨大な円筒ケースが置かれている。ケースの内側は木の板で五段に仕切られて昇り棒でつながっている。中にあるのは幾つかの小さな球、鼠の姿をした玩具、寝台代わりの柔らかなタオル、爪砥ぎ板、砂の敷き詰められたトイレ。

 この家の愛らしい住人は、硝子に両手を添えて肉球を見せて後ろ脚で立ち、「みあみあ」と鳴いてサレカさんと対面する。

「イェラ。これ」
 サレカさんが仔猫を指差す。
「驚いた? ニバヒリの月からやってきた、ルルイ・チャム・カカルという種類の猫。マリタ語に訳すと灰毛縞猫かな」
 名前の通り灰色地にくっきりと黒い縞模様のある長毛種だ。骨格が太くて全体的にずんぐりとした印象を受ける。手足も短くて太い。

「この子、可愛いよ?」
 サレカさんは茫然と呟きながらケースに両手をつけて覗き込む。
「ええ。可愛いわね」
「外に出していい?」
「それはちょっと。活発な子だから。この前出してみたら、そこら中の棚に乗って大変な騒ぎになったの。壺が一つ割れちゃった。うーん、そうね。出してもいいけど、しっかり抱いて2階に持って行きましょう。絶対に放しちゃだめよ。できるかしら?」
「できるできる」
 サレカさんは調子よく頷いたけれど、
「やっぱり私が抱いて行くわ」
 不満気な顔をするサレカさんをよそに、私はケースの前に立って傍に浮いている画面を操作して入口を開けた。
 咄嗟に飛び出してくる仔猫を素早く捕まえる。
「おおっと。元気な子ね。でも運動は2階でしましょうね」
 私は仔猫の喉を撫でてやると、ごろごろと気持ち良さそうな音を鳴らす。サレカさんも脇から手を伸ばして来て頭を撫でた。

 私たちは揃って2階へ上がり、自室に入ってしっかりと戸締りをしてから仔猫を床に下ろしてあげた。仔猫は嬉しそうに跳ね回り、あちこちを探索し始めた。

「寝台の下に潜っちゃった」
 サレカさんは顔を床につけて寝台の下を覗きこむ。
 そんな彼女に私は後ろから声をかける。
「サレカさんのお家は広いでしょうから、飼ってあげると、その子も幸せだと思うわ」
 サレカさんは床から顔を離して振り返った。
「うん飼いたい。でも私だけじゃ決められない。家族が賛成してくれないと。ルス(ルシーパ)は間違いなく喜んでくれるわ。母はなんとか説得できるとしても、姉さんは動物嫌いだから難しそう」
「お姉さんって、ええと、イルタさんだったかしら」
「イロタル。すっごく意地悪なんだ」
 サレカさんは怒ったように答える。

「まあ。それは困ったわね。この子は船で産まれたのよ。このまえ港に行ったとき、船乗りさんに出会ってね。鼠取りのために宇宙船で猫を飼っているんだけど、猫ちゃんたちのほうが増えすぎちゃったらしくて、貰い手を探していると言ってたから、私が引き取ったの」
「え? この子は売り物じゃないの?」
「当店では生き物は扱っておりません。可愛いから客寄せに役立ってもらったけど」
「そうかあ。じゃあ他に貰い手が見つからなかったら」
「私が飼うわよ」
 肩を竦める。正直、それもいいかもしれないと思い始めている。元々それほど動物好きというわけでもなかったのに、日を追うごとに情が移っていく。

「ルルイちゃんは、私とイェラ、どっちが好き?」
 ナイトテーブルに乗った仔猫に顔を近づけて尋ねるサレカさん。
 いつの間にか名前をつけている。でも ……
「ルルイって、ニバヒリ語で猫って意味よ。猫に猫ちゃんって名前はおかしいわ」
「あれれ。じゃあ、もっとちゃんとした名前考えてあげないとね」
 サレカさんはひょいと仔猫を抱き上げて胸元に持ってゆく。
「そうかあ。イェラより私のほうが好きなんだ」
「ちょっと待って。何でそんなことわかるのよ?」
 私は少しむきになって反論する。
「この子がそう言ってる」
「いい加減なこと言わないで」
「 …… もらって欲しいんじゃないの?」
「何だか急に気が変わってきた。よく考えさせてちょうだい」
「今さらそんな!」
「さあ仔猫ちゃん。こっちにいらっしゃい」
 私が腕を伸ばして仔猫を取り戻そうとすると、サレカさんは背中を向けて対抗した。
「どういうつもり?」
 私は低い声で尋ねる。
「姉さんは死ぬ気で説得する。今すぐお家に連れて帰ることに決めた」
「馬鹿言わないで!」
 私は焦って叫ぶ。いざお別れとなると、とても辛い。
「さあ、私のおうちに行きましょうね。美味しい物食べようね」
「ねえ、サレカさん。何も今すぐでなくていいでしょう? せめてあと3日。3日だけその子をここに置いてちょうだい」
 私は懇願するように言ったけれど、サレカさんは肩越しに振り向いて、
「余計に辛くなるだけだよ」
と言った。私はしばらく涙目でサレカさんを見つめていたけれど、最後には頷くしかなかった。たぶん、ヤゴイの大きなお屋敷で飼われたほうが、この子は幸せになるだろう。
 仔猫はいつの間にかサレカさんの腕の中で眠っていた。
 この日の夜、展示台に惑星模型を戻しておいた。 ≫ 第12話「休日の予定」

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