年代記(断片的な歴史資料の再構成、資源を巡る部族間の争い)

資源を巡る争い

 近年、強大な王権によってヴァルム・アモに君臨する民族、即ちハーリやタニシェト、ガラモク、タロル人が未だ小さな部族に過ぎない時代、またあるいはその拠点をカラザドの外に据えていたような遥か古の時代から、アモでは無数の部族が興隆を繰り返していた。僅かな資源を巡る部族同士の抗争は、他の地域では見られないほど過酷なものであり、ある部族が他の部族によって完全に根絶やしにされる事は決して珍しい事ではなかった。
 

断片的資料の再構成

 史学においては、この時代はネビュタル期として区分されている。標準暦で2200~2900年に相当する。この時代の史料は断片的である。記録を残さずに滅び去った部族は数知れず、諸部族の王に付き従った歴史家による著作のほとんどは、王への追従と過剰な称賛、他の部族への偏見で脚色されている。この時代を考証するには、各地に分散するその種の史料の中から信用に値する記述を選別し、一つ一つを照らし合わせ、矛盾のないように再構成する以外に方法はない。スピアド興亡史を記したマリバ・エクモルや、ハーリ年代記を遺したセトネラ・ユクリーのような偉大な先達、すなわち大きな指針となるべき著作は存在しない。

 ハーリであり、マイニの氏族長の家に生を受けた私は、多少の幸運に恵まれている。マイニ一族は、ネビュタル期を考証する優れた研究グループを抱えており、私は若い頃からそのグループの一員として、数多くの優秀な研究者と交流し、議論を交わすことを重ねてきたからである。

 シェリコ人ケナルバ・オルが自身の父と兄たちを追放し、シェリコの王となった2374年を記述の起点としよう。シェリコは赤色巨星ペリに拠点を置く、二千隻もの船を有する大部族であった。ケナルバ・オルは父コルバナ・コスが平民の侍女に産ませた子であり、王となる資格は持たなかった。父はその侍女に溺れていたために、この末の息子を大切に扱ったが、兄たちは身分の卑しい者として蔑んでいた。ある時、兄たちがケナルバ・オルの母であるベルタを公衆の面前で酷く罵った。 

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